躾としての体罰
今朝、娘中1hikaとテレビを観ていたら、躾としての体罰を防止する法案に関するニュースがやっていました。
私はhikaに
「ねぇ、ママhikaに暴力ふるったことあるかしら?ダメよ、ペシっとか。理由もわからずにいつまでも怒るとか…」
hika 「分からない、知らない。」
私「覚えてないってこと?」
hika「考えたこともないってこと」
私は娘には、手をあげた記憶はない。手をあげたくなったことすらない…ビックリさせられることは日常茶飯事だけど(^^)
私「hikaには無いけど、ママ、学校に行かないグズるお兄ちゃんには叩いたり、蹴ったり、長い時間説得しようとしたり、締め出したりしてたの。」
hika「え!そんなことしてたの!」と非難顔(知らなかったんかい?)
私「でもちゃんと謝ったのよ。お手紙で、ほんとにほんとに今でも悪いと思ってるの。」
hika「ママじゃなかったら、今もその暴力が続いていたかもしれないね。ママが学校は行かなきゃいけないってずっと思ってる人だったら」
朝の短い時間の何気ない会話だったけれど、私は泣きそうでした。あ、これ書きながら泣いてます。
ママでよかった、私でよかったと言われたように感じたから。
私も私でよかったと、安心しました。
でも、気をつけないと、いつでも同じような状況になると思う。さすがに暴力や体罰はしないけど、気をつけていないと、子どもたちに自分の気持ちを押し付けて、操り人形にしてしまう危険はいつも転がっているような気がする。
それに、本当に躾だと思っているから、暴力をふるったり、言うことをきかせられた時は、自分を「できるお母さん」だと思ってた。私はこれだけ厳しくしている、私はこんなに頑張っている。そんな思いでした。自分で気づくのは難しいかもしれない。
だから、誰かが、「大丈夫だよ、お母さんは頑張らなくていいし、子どもたちはみんな同じことができなくても、学校に行きたがらなくても、全然大丈夫。お母さんの責任じゃない、みんなでサポートするよ。ちゃんと大人になるから、大丈夫だよ、」ってまず安心させてあげなきゃいけないと思う。
金井かおり