こどもが不登校になったら読むブログ

義務教育9年目、その殆どを登校しぶり、不登校で過ごしてきた息子との暮らしを書きます。辛く孤独だった『序』、息子や自分の好きなことを探し求めた『破』、そして、義務教育を終える『急』1つの大切な節目にあたり、書いてみます。

躾としての体罰

  今朝、娘中1hikaとテレビを観ていたら、躾としての体罰を防止する法案に関するニュースがやっていました。

 

私はhikaに

 

「ねぇ、ママhikaに暴力ふるったことあるかしら?ダメよ、ペシっとか。理由もわからずにいつまでも怒るとか…」

 

hika 「分からない、知らない。」

 

私「覚えてないってこと?」

 

hika「考えたこともないってこと」

 

私は娘には、手をあげた記憶はない。手をあげたくなったことすらない…ビックリさせられることは日常茶飯事だけど(^^)

 

私「hikaには無いけど、ママ、学校に行かないグズるお兄ちゃんには叩いたり、蹴ったり、長い時間説得しようとしたり、締め出したりしてたの。」

 

hika「え!そんなことしてたの!」と非難顔(知らなかったんかい?)

 

私「でもちゃんと謝ったのよ。お手紙で、ほんとにほんとに今でも悪いと思ってるの。」

 

hika「ママじゃなかったら、今もその暴力が続いていたかもしれないね。ママが学校は行かなきゃいけないってずっと思ってる人だったら」

 

朝の短い時間の何気ない会話だったけれど、私は泣きそうでした。あ、これ書きながら泣いてます。

 

ママでよかった、私でよかったと言われたように感じたから。

 

私も私でよかったと、安心しました。

 

でも、気をつけないと、いつでも同じような状況になると思う。さすがに暴力や体罰はしないけど、気をつけていないと、子どもたちに自分の気持ちを押し付けて、操り人形にしてしまう危険はいつも転がっているような気がする。

 

それに、本当に躾だと思っているから、暴力をふるったり、言うことをきかせられた時は、自分を「できるお母さん」だと思ってた。私はこれだけ厳しくしている、私はこんなに頑張っている。そんな思いでした。自分で気づくのは難しいかもしれない。

 

だから、誰かが、「大丈夫だよ、お母さんは頑張らなくていいし、子どもたちはみんな同じことができなくても、学校に行きたがらなくても、全然大丈夫。お母さんの責任じゃない、みんなでサポートするよ。ちゃんと大人になるから、大丈夫だよ、」ってまず安心させてあげなきゃいけないと思う。

 

金井かおり